塾に行ってみたpart2

こんな情けない人生を歩んでいても、自分が他者に勝る、唯一にして最高に幸福だと思える点が一つだけある。

それは、理解のある親がいることである。

「再受験するので大学やめます」
「そう。あなたの好きなようにしなさい」

この一言でどれだけ救われたことか。
この一言を言える親が一体この世にどれだけいることか。
俺もこう言える親になりたい。

ちなみに生活費すらも全て親に出してもらっていることは内緒である。


受験に携わっている大人には、理解のある人が多いのではないか。

そう信じて俺は『学習塾 マウンテン』のドアを開けた。

「いらっしゃーい。こちらにどうぞ。」

陽気な笑みを浮かべて彼女は俺を迎い入れた。
着ていたコートを脱ぐ暇も与えずにされるがままに招かれる。

部屋は、どこからどうみても普通のマンションの一室としか思えなかった。

ホームページに書いていた、『アットホームな塾です』とはこういう意味だったのか?

「ではね。面談、というかそんな堅っ苦しいものではなくてね、気軽に思ってること言っちゃってね。」
「は、はい。」
「ふふふ。緊張しなくていいのよ。まずうちのことどうやって知ってくれたの?」
「えっと、Googleマップで知りました」
「え!Googleマップ!?面白い知り方だね。広告とかで知ってくれてる人は多いけどまさかGoogleマップとはなあ。なんて検索したの?」
「予備校で検索したら出ました。自分は宅浪で失敗していたので、やはり勉強に身を置ける環境が欲しいと思い、連絡させていただきました」

相手は初対面ということもあり、躊躇って聞けないこともあるだろう。こちらから自らの情報を開示していった方が円滑に会話が進むに違いない。

そう思って普段は控えている自分語りをした。

「実は大学に通っていたこともあるんですが、医学部を目指してから辞めました。大手の予備校にも通ったこともあるのですけれどあまり自分には合わなくて…。」
「あー。つまり再受験ってやつね。うちにもいたことあるよ。」
「え!何歳くらいの人がいたんですか?」
「んーと、20代後半の人と30代の人かな。2人とも医学部に合格していったよ。」
「そうなんですか…。ちなみにその人たちはどこの大学に行ったんですか?」
「一人は広島大学、一人は北海道大学に行ったかな。」
「北大ですか…。凄いですね…。」

俺は少し嬉しくなった。
同士がここにもいたんだ。

「ちなみに相田くんはなんで医学部目指そうと思ったの?」
「えぇと、そんな大それた理由は無いんですけど、僕は人のために何かをするのが好きで、例えば、遊園地で小さな女の子が迷子になっていたら積極的に声を掛けますし、デパートで小さな女の子が迷子になっていたら積極的に声を掛けますし、公園で小さな女の子が迷子になっていたらやはり積極的に声を掛けます。」

「ただのロリコンじゃねーか。」

渋い声が後ろから響いた。
おじいちゃん先生だ。

時の流れのせいか、ホームページで見たときより少し老けているが貫禄は増している気がする。

そして、一瞥するだけで分かった。

この人は"達した"人の目をしていた。
優しそうな目だが、視線は鋭く俺に突き刺さる。
と、同時に、自分の中の醜い部分が見透かされそうで少し怖くなった。

渋い声でおじいちゃん先生が言った。

「どーも。鳳凰寺剛志です。よろしくぅ。」
「あ、相田登です。よろしくお願いします。」

つられて名前まで名乗ってしまった。

「つよし先生でええからのぉ。」
「は、はい…。」
「もう!つよし先生のせいで早田くんまた緊張しちゃったじゃない。いいところだったのにぃ。」
「ほほほ。すまんのぉ。」

この二人は親子なのである。
温かい家庭なんだろうな、と思った。

「で、話の続きじゃが、そうすっと登がなりたいのは小児科医か?」

いきなりの名前呼びで多少面食らったが、続けて答える。

「い、いえ、耳鼻科医です。」
「ほお。なぜじゃ?」
「女性声優さんが大好きだからです。女性声優さんの喉の奥を覗いてみたいのです。」
「おぬし、歪みないのお…。」

つよし先生が、少し呆れたような顔をしてこう言った。

「そうか。そうか。登のような真っ直ぐな若者がわしゃあ大好きじゃ。」
「おじいちゃんから告白されても…。」
「そうか。おぬしロリコンじゃったな…。」

一連の会話を通して、この塾の雰囲気が大体掴めてきた。先生達も俺の扱い方を分かってきたようで、場の緊張感が薄れるのを感じた。

「でじゃ、どこ目指すんかの?」

核心を突く質問が来たが、あいにく俺はこの答えを持ち合わせていない。

「い、いえ。特に決まってないです。まあ奈良県立医科大学にでも行けたらな、とおもいます。」

俺はふんわりとした返事をした。

すると、終始穏やかだったよっちゃん先生の雰囲気が少し変わった。

「あなた、その台詞はいけないわよ。それはその大学に絶対受かる学力がある人にだけ許される発言よ。あなたレベルの学力で言っていいことでは無いわ。」

失言だった。いや、失念していた。
この先生の言うことはもっともだと思った。
俺レベルが軽々しく行けたらいいなと言えるレベルの医学部は存在しない。

年長者に正されるのは随分と久し振りだった。
ずっと孤独でいると、自分の考えが正しいのか間違っているのかの分別がつかない。
20歳手前の俺ならこの発言にムッとしていたかも知れないが、今は素直にありがたいと思えた。

「で、志望校はあるの?」
「い、いえ、特に…ないです…。」

そうだった。
俺に本当の志望校など無いはずだった。

そして、つよし先生が致命的かつ運命的な一言を、こう述べたのだった。


「ほんじゃあ、東大理三目指さんかいの?」


着っぱなしになっていたコートに包まれていた俺は、その時になって初めて、ジワジワと体を熱する暑さに気づいた。